虐待の連鎖を断ち切るのは難しいと思う なぜならこの世に、誕生してから自身は記憶の中
埋め込まれていることが、多いからです。
私は小さい頃から、両親からそれぞれ うけて来ました。夫婦げんかのたびに、
巻き込まれてきました。父親が母親にとか母親が父親に、どちらかにに何かしら原因があり
ケンカに発展して、揉め事になる。
するとそのホコサキが、必ず私にくるのです。必ずと言っていいくらいくるのです。
叩かれたり けられたりといつ終わるかもわからないままに、続きます。
時間なんてわからないから、いつか終わるだろうと、耐えていました。
表面的には外交的だし ましてやそんなこと他には思われないから、躾が厳しいだろうと
ま−そんなところです。
でもね 雪の❄️☃️日に、下着のまま電柱に縛られて置かれた時は、さすがに寒かったです。
しかしながら、近くの老夫婦が、またかという顔で、自分達の家に連れて行ってくれる。
そして(また何かして、怒られたのか)などと言いながら、自分達の寝ていた布団に入れて
くれるのです。
いまの時代だったら考えられないでしょう。いくら近所の人でも、あり得ないでしょうね。
でもそんな時代だったから いまの時代だったら、人の家のことには気づいても 見て見ぬふりをするべきだといい感じになってしまいましたーって感じ。
みんながみんな 同じ事をするらしいというけれど、少なからず私は自分で強く意識して
ここまで来ています。もし子供たちをしつけで、叩いてしまったとすればその倍自分のほほを叩いて子供たちの姿を思いながら、育てて来ました。
自分だけでいいと思ってここまできました。
だからこそ、人の痛みを感じることが大事なのです。もう何度でもいいから いちから考えて
見つめてみませんか?
💁🏽♀️❌‼️ぜったいダメです。